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新海作品についての覚書その②:転機としての「言の葉の庭」

前記事では、自身の経験を時系列に沿って愚直に並べただけだが、今回はそれを通じた所見をまとめることとする。
ちなみに、「星を追う子ども」は残念ながらまだ見ていないのであしからず。
ただ、本論の論旨にさほど影響はないはずである。たぶん。

前の記事で、自分の新海作品受容の遍歴に大きな断絶があったことを述べた。しかしそれは、まっとうな理由があってのものだったということも改めて認識した。
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過去作を見直す過程で、「言の葉の庭」(2013年)「秒速5センチメートル」(2007年)との間に明確な差異があるのを強く感じた。
「言の葉の庭」は、これまでの新海作品すべての音楽にかかわってきた天門氏以外の人間と初めてタッグを組んだ作品である。「君の名は。」はご存知RADWIMPSが音楽を担当してそれが大ヒットの重要な要素となった。
要するに新海誠が音楽担当の受注先を変える転機となったのが「言の葉の庭」である。そしてその事実は、新海作品にとって重大な転機となる点で注目されるべきである。

前の記事で、「秒速」以前の新海誠は「背景美術という宝をドブに捨てている」作家だと断じた。その「背景美術という宝」を演出に生かし切れていない要因が、天門氏の音楽の使い方にあるのだ。
天門氏はいわば、ファルコムに勤めていたころからの盟友で、またゲーム音楽の評価も非常に高い。
で、自分が「秒速」を見て、「音楽が平板だ」というのが第一印象であった。
おそらくゲーム音楽由来のクセなのかもしれないが、「秒速」の音楽は「突飛な転調がなく、力強いが揺らぎがない」。「繊細さに欠ける」と言い換えてもいいかもしれない。そして、その音楽から零れ落ちた要素は、すべて野暮な言葉でナレーションをすることで補うしかない。いちいち全部説明するしかない。美麗な背景にすべて語らせればいいものを、それをせず全部言葉でやってしまう。むろん、卓越した背景美術は全部台無しである。
「背景美術という宝をドブに捨てている」というのはそういう形で、背景を演出に生かし切れていないということである。そしてその要因の元凶は、明らかに音楽のオファーの仕方にある。

おそらく、「言の葉の庭」を作るにあたって柏大輔氏の厚意によって揺らぎのある繊細なピアノ曲を提供されるまでは、音楽面の貧しさは変わらないままだったかもしれない。「言の葉の庭」にて揺らぎのある曲を導入したことで、美麗な背景が魔術性を持つに至った。「君の名は。」でも雨のシーンで特徴的な使われ方をしたのだが、「秒速」までの新海誠が「包み込む空」を描く作家だとしたら、「言の葉の庭」以降の新海誠はそれに加えて「移ろう水」も描く作家に進化したと言える。そしてそれは、揺らぎやすい心を表現しきる力を作品に持たせ、演出にも多大なる影響を与えた。
思えば、空の変化するスパンは水と比べてかなり長い。ということは、空に寄り添うだけではそれが平板さにもつながるということだ。「空」だけにこだわっている限り彼の進歩は頭打ちだったともいえそうだ
ちなみに「言の葉の庭」では、資料付きで「雨」の表現について詳細な技法の解説とともに前面に押し出している。先述の工夫もおそらく意図的にやっているのではなかろうか。

このように、「言の葉の庭」を境として新海作品の背景美術が初めて真価を発揮し、演出は緻密さを増した。
それに加えて見過ごせないのは、「言の葉の庭」から初めて古典を扱い出した点である。恋歌を詠まれてからその返歌を詠むという伝統的な流れを物語の下敷きにしたり、「雨」という装置に時を超えた普遍性を与えたりと、「言の葉の庭」だけでも非常に独特かつ効果的に用いられている。、雨の中でのみ逢瀬を重ねる二人のいる空間は、「雨が晴れ(ハレ=非日常)になる」という逆転現象が起こっているともいえる。
また、それに続く「君の名は。」も、発想の発端が小野小町の「思ひつつ寝ればや人の見えつらむ夢と知りせば覚めざらましを」にあることが広く知られている。個人的には、物語のキーとなる赤い紐は和歌において「命」を意味する「玉の緒」をも想起させているようにも思える。
ともかく、古典を発想の根本に据えるようになったというのは、「言の葉の庭」以前と比べて明確に変化した点である。

その変化は、新海誠が国文学出身の人間であることが関わっているだろうし、海外展開を見据えるにあたっていわばガイジンのオリエンタリズムを刺激する要素にも繋がるという戦略もあったのかもしれない。
いずれにせよ、彼が日本の古典に回帰したのは良い傾向だと自分は思う。物語の源泉を手に入れるというのは、作家にとって必要不可欠だ。戦略的にも武器になるし、何より彼自身の作品の豊かさに直結する。和歌を切り口とするのは、意外と盲点だったし。


ともあれ、「言の葉の庭」を転機として、新海作品はかなり変貌した。仮に「秒速」以前で離れた人がいたとしたら、あるいは「君の名は。」しか知りませんという人がいたとしたら、自分は迷わず「言の葉の庭」を勧める。45分だけだから、気軽に見れますぜ。
そして気が向いたら、その後に本編より長いスタッフインタビューを聴くがよろしい。

ほんと、新海誠がテレビで事細かに作品解説をする姿をやたら見かけるし、映像特典での作品解説でも監督は非常に多弁である。解説し過ぎでかえって野暮に思えてくるが、イマドキの子はこれくらい手取り足取りせんとわからんのですかね。少しは自分の目と頭を信じろと言いたい。口嚙み酒がキスのメタファーであったり、足の採寸がどう見てもまぐわいと等価であることぐらい言われなくても察してやれよ。

(そういや「言の葉の庭」から、自身の変態性を巧みな比喩に包みながらさらけ出すようになったのも転機と言えば転機である。「秒速」でキスさせたときの芸のなさと比べると、えらい進歩)



てな具合に今年一年を振り返ったところで、良いお年を。

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かうんたぁ
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ごてぃ

Author:ごてぃ
茨城から都内の大学院に通う人
専門は中国近現代文学のはず
文章を書かせると人格が変わることに定評があるらしい
「誰だか知らないけど有名人っぽい」と意味不明な事を言われる
黄昏をこよなく愛する男。

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