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魔法少女まどか★マギカまとめ:物語に力を

ようやく完結したので、一通りメモ的なものをまとめてみた。
以下ネタバレ注意。

最初に一つだけ言わせてもらうと、少なくとも2010年代を代表する作品であることは間違いない、という評価である。


・まどか
主人公という名のヒロイン。引っ込み思案で夢見がちだが他人を守りたいという気持ちは人一倍強いという、おそらくまっとうな魔法少女ものだったら模範的な主人公になっていたであろう人物。また、最初の方で彼女が魔法少女と言われて舞い上がって絵まで描いちゃうシーンは、彼女が人並みの変身願望を持つ普通の少女であることを示すものであると同時に、「女の子が持つ変身願望ってこんなものだよね?」というのを暗示する重要な場面でもある。
人一倍他人を守りたいという気持ちが強いという性質なため、おそらくどう転んでも魔法少女になっていただろう。彼女は魔法少女になるために生まれてきたような人間である。それゆえ、彼女の行く末は世界の行く末であるだけでなく、魔法少女ものというジャンル、変身ものというジャンルそれ自体の行く末でもある。

・ほむら
真の主人公。10話で、最初は弱い少女であったことが明かされる。そんな彼女が、強くなりたい、彼女を守れる強い私に変身したい、と願うのも、女の子が持つ変身願望としては実に普通のこと。彼女もまた、体や精神が弱いこと以外はどこにでもいる普通の少女である。ただ、弱い状態から努力の積み重ねで成長していくという辺りはどちらかというと少年マンガの主人公的である。
ここで視聴者は、魔法少女ものとはすなわち変身ものから派生したジャンルであることを改めて再確認する必要がある。魔法少女というタイトルに惑わされて、「魔法少女とは何か?」という問いにこだわり過ぎるのは間違いである。まどかマギカで問われているのはもっと大きな話で、つまり「変身願望によって生み出される物語とは何か?それは今の時代に必要なのか?」この一点だ。
11話で、時間軸を自由に行き来できるほむらは、戦うことをやめることが永久に出来ない、すべてを投げ出して逃げることすら許されぬ過酷な運命であることが明かされる。それは結局最終話終了まで変わらない。ただ、まどかが新世界の旧神になったことで、彼女の戦いには希望が添えられたのが今までと違う。
彼女の戦いは永遠に終わらない。しかしそれは希望のある戦いである。まどかが魔法少女すべての希望になったことで、そういうことになった。それでも、魔法少女がいなくなった代わりに魔獣と戦うことになり、相変わらず戦いは永久に続く辺り依然として苦しいままな気がしないでもないが、希望が無いまま永遠に続く苦行と比べたら、だいぶ救われたはずである。

余談だが、スペースほむらは非常に良い二次創作だと思う。虚淵もコブラ好きという話だし、両者には相通ずる部分も割と多い。

・さやか
もう一人の主人公、らしい。その割には扱いが若干アレな気もするが気にしない。
実に正義感の強い娘である。時間軸によってはでっかいケーキで魔法少女になりかねないピンクと違って、彼女は心の底から正義の味方になるために魔法少女になった娘だ。メインの時間軸で魔法少女になった理由である「愛する人を守るため」ってのも、魔法少女がゾンビでなかったら己の個人的な望みと両立可能だっただろうに、そこんとこが巧妙に仕組まれた悲劇であり、この作品の妙である。
「他人のために生きることで、自分のために生きることを捨てた」存在であるさやかは、後述する杏子とはコインの裏表である。

あん子杏子
最初は敵対関係だが、後に仲間になる場合もある人。
さやかとは対照的に、魔法少女の力を「自分のために生きる」ために用いる娘。「他人のために生きることを捨て、自分のために生きるを選んだ」存在である。しかしその発端は牧師である父を救うためであり、彼女もまた根本では他人のために生きることを望んだ人間だった。救われぬ悲劇にあえぐさやかのために犠牲となった彼女の最期は、救いのあるものだったはずである。

・マミさん
俗に言うおねいさんキャラ、先輩キャラ。ゆえにさん付けで呼ばざるを得ない人。バトルものにおける先輩キャラは往々にして主人公の踏み台になったり噛ませになったりするものだが、彼女もまた例外ではなかった。いわゆる一つの「どう足掻いてもマミさん」である。
他の人たちと違って、死の間際で契約を迫られたため、彼女は自分の意思で魔法少女になったわけではない。にもかかわらず魔法少女の立派な先輩として憧れの存在に見られるほどに立派に働いていた辺りはやはり賞賛されるべきだろう。
そんなあり方に歪みが無い方がおかしいのだ。

・キュウべぇ
宇宙人。人外なのでその行いが人に理解されず散々悪魔とか外道とか言われるが、彼自身は別に間違ったことは一度もしていないつもり。最初から最後までブレない淫獣。
物語的には、作品のSF臭クトゥルフ臭を濃厚にした元凶の一人。

・魔法少女
前述したとおり、女の子の変身願望のあらわれである。それゆえ、魔法少女というジャンルで視点を固定して見るのはあまりおススメされない視聴法だろう。特にこのまどかマギカにおいては、変身ものというジャンルで見た方が、「堕落した魔法少女」云々について延々と語るよりは幾分か自然でシンプルである。そうすれば、虚淵が魔法少女と仮面ライダーを一緒にしてる節が見受けられたとしても何ら驚くこともないし。堕落も何も、変身していつもの自分にできないことをしたいという心は変わっていないはずだ(ぷにえ様は別)。

ちなみに11話で、歴代の女性の偉人もまた魔法少女であり、まどかマギカの世界はそういった魔法少女の犠牲によって成り立っていることが明らかになった。人類の歴史とはこりゃまたスケールがでかくなったもんである。ニトロの物書きはどうしていつも話の規模を無駄にでかくするんだよと思わずにいられない。



言うまでもなく、まどかマギカは魔法少女というジャンル、ひいては変身ものというジャンルを現代の世界で批判的に再構築した物語である。
自分は当初からこの作品が「変身願望によって生み出される物語とは何か?それは今の時代に必要なのか?」を世に問う作品だと捉えていた。奇妙な問いに見えるかもしれないが、各ジャンルのパロディが氾濫し横行するこのご時世においては非常に切実な問いである。もっと厳密に言うと、「魔法少女というジャンル、変身ものというジャンルは、パロられてヲタクたちの話の小ネタになるしか生きる道は無いのか?ただのデータベースとして一時の賑やかしになるしか能が無いのか?これらのジャンルは果たして、メッセージを伝達する手段としての物語を作るに値するテーマなのか?」という問いである。

全世界で有志による考察が盛んに行われたため、エヴァの盛況と比較する見方もあるが、実際の所まどかマギカは非常にシンプルな話である。それほど複雑な設定は無い。作中の謎も本編で概ね全部説明されている。また作品の展開自体もそれほどひねくれたものでは無く、有志による今後の展開の予想はほとんど的中している。そこまで必死に考察していたわけではない自分ですら、まどかが最終的に魔法少女というシステム自体を無かったことにするor改変する展開自体は容易に予想できたし。
どっかの誰かがまどかマギカの展開を「予想通りのコースにきた予想以上の豪速球」と言っていたが、この評は非常に正しい。こういう反応が出てくるということは、物語として非常に骨太な作りだったことの証左だろう。

こういう、メッセージを伝達する手段として批評的かつ真摯な作りをした物語がここまで広く認められたのは、大きな進歩ではないかと自分は考えている。いや、進歩というより、セカイ系の独りよがりが横行する歪んだ状況からやっと平坦な地平に戻ってきたと言った方が正しいか。
東浩紀が言うように、セカイ系の流行は批判精神を持った作品づくりをするための一つの試みであったのは確かだが、それにしてもセカイ系はあまりに独りよがり過ぎた。セカイ系の走りとされるエヴァはその実セカイ自体を自分でぶっ壊すほどの厳しさを持った作品だが、セカイ系の作家・読者の独りよがりな精神は結局その厳しさを受け継ぐことが出来ないほどに脆弱だった


伝達手段として物語を選んだ以上、物語による伝達を投げ出した物語が主流となって横行する不健全な風潮はあまり広がって欲しくない。作品考察を空しい行為と考え、それより脊髄反射でネタにして騒いだ結果起こった現象の方が尊いというような思想が(不必要とは言わないが)これ以上広まらないでほしい。
自分の願望も多分に入っているのを承知で言うが、2010年度は、物語を一つの表現手段として真摯に使いこなした作品がまっとうに評価される時代になると思う。というより、現時点で既にそういう作品は多く出てきているし、そうなってほしい(物語と読者の関係としては実にシンプルでありきたりだが)。

まどかマギカはそういう、物語が単純にその真摯さで評価される、そんな風潮になる最初の一歩になるのではないか。


追記:しかし、まどかマギカの結末は賛否両論みたいだし、自分も手放しで称賛するわけではない
どうせ世界の理を掌握する存在になったんなら、ご都合主義が過ぎるかもしれんが5人全員生き返らせて幸せな日常を取り戻すENDにしても別に誰も咎めなかったと思うのだ。虚淵氏はつくづくハッピーエンドを描くのが致命的にヘタクソな作家である。
ただ、この結末も決して悪くは無いとも思う。結局ほむらの戦いは永遠に続く。しかし希望が添えられたことでそれは苦行では無くなり、戦う存在としてはかなり救われた。彼なりの精いっぱいのハッピーエンドだろうし、ハードボイルドで男らしいおよそ魔法少女らしくないが良い終わり方である。

追記2:そういや東一派のツイートにこんなのがあった。
「まどマギやひぐらしの流行で考えられるのは、キャラクター消費からシーン消費へと移行したということだ。そこには物語もなければキャラクターもない。瞬間的な残虐性やインパクトがネタと化し消費されていく。この傾向はニコ動によるMAD動画の流行が関係しているのではないか」Apr11日
東浩紀自身がRTしたとはいえ、末端の人間の言ったことにいちいち咎めることもないのかもだが、全世界を巻き込んで考察が盛んに行われた事実を意図的に無視すんなよと。
なお東浩紀本人は、別の意味でまどマギと話題を二分したフラクタルを同クールにやっていたということもあって、まどかマギカに対してものすごく言及しにくいとのことだ。ただ、まどかマギカがどう見ても彼が言う所のゲーム的リアリズムの論理で成り立っているとされる以上、動ポモの筆者である彼の発言は非常に注目されている模様。

正直どうでも良い。

theme : 魔法少女まどか★マギカ
genre : アニメ・コミック

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かうんたぁ
プロフィール

ごてぃ

Author:ごてぃ
茨城から都内の大学院に通う人
専門は中国近現代文学のはず
文章を書かせると人格が変わることに定評があるらしい
「誰だか知らないけど有名人っぽい」と意味不明な事を言われる
黄昏をこよなく愛する男。

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